【霧・霧・舞・録】

お気持ちだったり適当な感想を出します。気まぐれの更新です。

市川雛菜の事をちゃんと見て欲しい

皆さんご機嫌よう!先日のシャニマスMUSIC DAWN、滅茶苦茶良かったですね。
特にノクチルは初めてのステージながら圧巻のパフォーマンスだったと思います。今度来る感謝祭もとっても楽しみ☺☺☺
それにしても市川雛菜ちゃんってかわいいと思いませんか?


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かわいいよね…分かるよ。
こりゃSNSでもいっぱいかわいいって言われてるんだろうなー!!!ちょっと調べてみよっと!!


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と、サジェストにも出てくるように市川雛菜ちゃんはSNSでは実装当初からほぼ常に「怖い」という印象を持たれており、最近になってくるとお前雛見沢症候群か?ってレベルで市川雛菜ちゃんの言葉の裏を読もうとしてる人が多くなってると感じているので、このような記事を書いた次第です。
勿論これも1人のオタクの解釈に過ぎませんが、雛菜の印象がこのまま固定されてしまうことは大変好ましくないのです。
この記事を見て、少しでも色眼鏡を外してもう一度雛菜の事を見てくれる人がいてくれると、とても嬉しいです。

雛菜のしあわせって?

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雛菜の掛け合いが怖い、雛菜が嫌いと言われてそうな原因1位だと思われる咲耶→雛菜の掛け合いですが、これを語る前にまず「雛菜のしあわせ」について考えてみましょう。
まぁそんな長ったらしく考える必要はなく、この画像だけで概ね理解出来るものだと思います。


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※HAPPY-!NG・Inter♡iewコミュより

「楽しくしあわせでいることが雛菜」
雛菜のしあわせとは、つまるところ市川雛菜の生き方なのです。そして雛菜にとって絶対に譲れない個性(アイデンティティ)でもある。
「今日は〜したから雛菜はしあわせだった」ではなく、「楽しくしあわせ〜だから雛菜はしあわせ〜」である訳です。
更に雛菜のしあわせは「現在進行形」でなければならないのではないか?と思っています。


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※プロデュースイベント・Make you happyより

やたらと「雛菜は過去の雛菜の事を敵と認識・同担拒否してる」と言われてる場面ですが、ここで重要なのは「今ここにいる雛菜が、いちばん楽しくて、しあわせなのがいい〜〜〜」という台詞です。
これは例え話ですが、皆さん過去の思い出を振り返る時に、「この頃は良かった」「子供の頃は楽しかった」なんて思ったりすることはありませんか?まぁありふれた現象だと思います。
ただ、雛菜にとってそう思ってしまう事はしあわせの総量が「過去>今」という事になり、そうなった瞬間雛菜の生き方を雛菜自身が否定しかねない事になってしまうからです。

「ちょっと前に戻ったとしたら絶対にアイドルやらない方がいいよって雛菜に言う!」の台詞も上記の思考から来るもので、このコミュまで読んだ人なら分かる通り、雛菜はプロデューサーの考えを誤解しており、時間をかけてようやく分かり合うまでに至っています。
しかし、「もしプロデューサーの考えてる事をもっと早く知れた世界」があったとしたら、もしかすると今の雛菜よりもその世界の雛菜の方がしあわせになっちゃうかも?となるかもしれません。
しあわせの総量が「過去>今」になるのが嫌なように、「違う世界>今の世界」になるのもまた嫌なのです。

そして以上のことから、雛菜が咲耶の質問に答えにくい理由も分かりやすくなるのでは無いかと思います。
咲耶の質問は「よければ、今日の雛菜の幸せについて聞かせてもらえないかな?」
咲耶の質問に答えるなら、「今日は○○だったから雛菜はしあわせ〜」という形になると思いますが、上にもある通り雛菜のしあわせは生き方である為、しあわせである事へ理由を付けるのはあまり好ましくありません。
そしてまた、しあわせである事へ理由を付けてしまえば、そのしあわせに明確な価値がついてしまいます。
しあわせに明確な価値がついてしまえば、自然としあわせ同士で序列が生まれてしまうことになり、そうなればまた雛菜の生き方を雛菜自身で否定しかねない事になってしまいます。(まぁこれは極端な考察ですが)
つまるところ、咲耶の質問は雛菜にとってとても答えにくい質問ではあったのだと思われます。(咲耶は悪くない)


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現に夏葉→雛菜の「なんだかとっても楽しそうね?」という問い掛けに関しては、雛菜も快く返事をしています。
これは咲耶の質問とは違い、今いる雛菜の楽しそうな姿に対して言っているのが大きいんでしょう。


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あさひ→雛菜の「しあわせってなんすか?」
「なんですかね〜?」という雛菜の返事から、やはり雛菜はしあわせを定義付ける事を嫌っているとよく感じられます。

これらを総合して覚えておいて欲しいのは、「雛菜はしあわせについて定義・理屈をつけるのは嫌い」であり、「雛菜のしあわせは生き方であり雛菜の個性になっている」という2点です。それでは次の項目に行きましょう。

雛菜は他人に無関心なのか?

雛菜の掛け合いを全て見た方で多く見られるコメントが、「雛菜が他人に無関心すぎて怖い」というもの。
また見かけた意見の中には「15歳なのに社会性が高すぎる」みたいなのも見受けられました。
なんだか全体的に反発的な意見を出してしまうことに申し訳なさはあるのですが、「雛菜は他人に無関心なわけではない」し、「雛菜はちゃんと15歳の精神」であると僕は思っています。


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※プロデュースイベント・Bitter×coffeeより
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※プロデュースイベント・take the cake!より

ご覧の通り、雛菜は規律や協調性を強要される事をとても嫌います。
さて、そんな規律や協調性を求められ、教えられるところと言えば学校ですよね。
結論から言えば雛菜はあらゆる意味で学校が嫌いなんだと思います。


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※HAPPY-!NG・P-eachコミュより

「周りが勝手に変わるだけ」
この言葉から、恐らく小さい頃は雛菜の様に楽しくしあわせ〜にいる子が周りにもいたのではないでしょうか。
ただ、学校では規律・協調性を守るよう教えられる為、どんどん雛菜の様に生きていくのが難しくなり、雛菜以外にはいなくなってしまったのではないか?
更に変わってしまった周りの人間からすれば、変わらない雛菜は「変わった人間」に見えてしまいます。

その後に続く「雛菜が雛菜じゃなくなるわけじゃないし」という台詞からは「雛菜は絶対に変わらない」という意志と意地があるのではと感じられます。これに関してはこれ以外のコミュでも強く主張している部分なので特に。


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※プロデュースイベント・Make you happyより

そして何より雛菜は自分が我儘である事を自覚しています。ここからも雛菜の選んだ生き方は、決して消極的に仕方なく選んだものではなく、絶対に自分を曲げたくないという意地と我儘によるものなのでしょう。


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※HAPPY-!NG・END!NGコミュより
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※HAPPY-!NG・XOXOコミュより

しかし、雛菜自身その生き方がいつまでも出来るとはあまり思っていません。その辺りの悟り具合は等身大の15歳では無いかと思います。「何書いても怒られそう〜」という台詞からも。
これらは恐らく、雛菜の生き方を理解してくれる人間がこれまで殆ど居なかったのだと思われます。幼なじみ達は雛菜の生き方を「いいんじゃない?」と許容はしてくれますが、理解し道を示してくれる…という訳ではありません。天塵でその辺りは分かりやすく示されてるんじゃ無いかと思います。


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※HAPPY-!NG・Inter♡iewコミュより

続くInter♡iewコミュで、雛菜の考えについて話しそれを理解してくれたことに対して驚き、そして喜んでいることからも、雛菜は他人に対してあまり期待しているわけではないが、理解者が必要ないと思っているわけではないのです。
要するに雛菜のスタンスはとてもハッキリしているけども、そのスタンス通りに割り切れてる訳ではないんですね。15歳って感じがとてもしませんか?


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もうひとつ考察材料をここに。雛菜→果穂の掛け合いですね。ここも何故か「小学生にも敬語使うのか………」と畏怖されがちですが、注目すべきは別のところにあります。
雛菜が果穂に対して「小学校は楽しいですか〜?」と話してますが、雛菜が他人のしあわせや楽しいに対して質問するのって、スタンス等を考えるとちょっと珍しくないですか?

果穂はスゴイ事にはスゴイです!!と言い、楽しい事には楽しいです!!というとても純粋でいい子です。
アレ?よく考えると楽しい事を楽しいって喜べるのってなんだか雛菜に似てません?
というよりも「楽しく〜しあわせ〜に過ごす」ことって子供であればとても喜ばしいことなんですよね。ただ大きくなっていくにつれそう過ごしにくくなるわけで。雛菜は学校で皆がそう変わっていく姿を見てきて、それを寂しく感じている子だと思うので、果穂に「学校は楽しいですか?」と聞いたのではないでしょうか。

まぁ、そこまでは考えなくとも雛菜の掛け合いってそう畏怖するもんでもありません。いやほんと怖がりすぎだってほんと…………

雛菜にとってのアイドルって?

少なくとも、最初にアイドルを志したきっかけの大部分は「透先輩がアイドルになったから」である事は確かです。


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※プロデュースイベント・HAPPINESS♡より

そして、上記のイメージを雛菜が持っていたのは確かなのではないでしょうか。
アイドルに対して「楽しくてしあわせ〜」なイメージがあり、アイドルになれば雛菜は雛菜らしく生きられるかも?と、これはInter♡iewコミュでもハッキリ言っている部分ですね。
但し、Inter♡iew時はプロデューサーと分かり合って以降のものだと思われるので、HAPPINESS♡時はまだそこまでハッキリとしたものはなかった可能性もあります。

いずれにせよ、プロデューサーへの好感度が最初からそれなりにあった理由は、透先輩がいるだけじゃなく、雛菜自身アイドルになる事で雛菜らしくいられるかもという期待があったのでは無いかと思います。


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※HAPPY-!NG・CherryPick!NGコミュより

そして、アイドル市川雛菜の進む道もハッキリしています。
「ちょっとずつつまみ食いして、どれがいちばんしあわせか決めるの」
「甘いものも、お仕事もなんでも!」
雛菜のアイドルとしてのスタンスは、「雛菜が楽しく〜しあわせ〜になればファンの皆もしあわせ〜」なので、雛菜がいちばんしあわせ〜な仕事が出来れば、ファンだってもっとしあわせ〜になれるわけなんですね。
雛菜のスタンスとアイドル雛菜のスタンスは合ってるので、文字通り雛菜はアイドルに向いてるんだと思います。

ノクチルについて

ユニットのノクチルについても話したいと思います。
天塵でノクチルは生放送で放送事故を起こし、結果干される事になります。
これはただの感想になるんですが、ぶっちゃけ放送事故を起こしたのは番組の対応があまりにも悪すぎるし、ノクチルがああした感情はめちゃくちゃ理解できます。もちろんその行動が世間に許されるわけではありませんが。

ノクチルはノクチルの在り方を決して変えないんだと思います。
「さよなら、透明だった僕たち」というキャッチフレーズを少し考えたんですが、ノクチルが在り方を変えない以上、ノクチル自身の色が変わる事はありません。
変わるとすれば、世間の見る目ではないかと思います。
ノクチルはノクチルのまま、ノクチルという色を認知させていく…透明から鮮明にって奴ですね。
恐らく認知はされてなくても、花火大会でノクチルに見惚れた人間は少なからずいるんじゃないかと思います。ファン感謝祭がどうなるか分かりませんが、ノクチルの今後に注目していきたいですね。

最後に

長々と色々言ってきましたが、こんな駄文で大衆の考えを変えられないし、否定したいとは思っていません。
ただ怖いという感情を抱えたまま見てしまえば、永遠に怖いと思われてしまうんじゃないかと思うと、それはとても嫌なわけです。

それにまだシャニマスを触れてない人間に、「市川雛菜=怖い女」というレッテルを貼られたら死ぬほど嫌じゃありませんか?僕は死ぬほど嫌です。

何度も言いますが怖いという感情自体は全て否定するつもりはありません。常識的にこうだとか、普通はこうだとか、色眼鏡で雛菜を見て欲しくないだけなのです。

市川雛菜という人間は、大勢の人間が不理解になるほど難しい人間ではないと僕は思っているし、雛菜がもっと自由にしあわせ〜を求めていい世界であってほしいのです。

だからどうか…もう一度、しっかり雛菜のことを集中して見てあげてください、お願いします。

以上、僕からの切実なお願いでした。これからも市川雛菜ちゃんの事をよろしくお願いします。